伝統を紡ぐ海女たち
7月、三重県鳥羽市の菅島で大漁・豊漁と海上安全を祈願する「しろんご祭」が開催された。700年以上の歴史を誇るこの祭の主役こそ「海女」である。素潜りで海底の貝や海藻を採集する、人類の根源的な営みとも言える海女漁の風景や風土は、海女によって変わることなく現代に受け継いがれている。
動き出した「海女学」
三重県南部の志摩半島には全国の約半数の海女が操業しており、古くから海女の中心地とされてきた。そんな海女の文化をさぐるべく、三重大学を中心に「海女学」という研究が進められている。この地域の海女を学問的に研究することで漁業と漁村の持続可能性をさぐる試みだ。
海女の歴史
鳥羽市の海の博物館には海女についてのさまざまな展示が行われている。古代の遺跡からは現在の海女の道具と同じ用途で用いられていたと思われる動物の骨も見つかっており、その歴史の長さが伺える。また、奈良時代末期の万葉集や江戸時代の浮世絵にも様々な「海女」が描かれてきた。海女は一体どのような歴史を歩んできたのだろうか...?
海女を取り巻く環境の変化
海女を取り巻く環境はいま激変している。特にアワビ資源の減少は深刻で、これに対して稚貝の放流事業や海底調査・海中の環境改善など様々な取り組みが行われいる。さらに海女の高齢化による担い手の減少も問題になっていた。
伝統的な海女漁を継続するために何が求められているのか。海女学から持続可能な漁業をさぐった。
主な取材先
三重大学海女研究センター
海の博物館
尾鷲栽培漁業センター
鳥羽市を中心とする海女漁