ガリレオX

驚異と怪異 知的好奇心を生みだした不思議と常ならざるもの

BSフジ
本放送:10月13日(日)昼11:30~12:00
再放送:10月20日(日)昼11:30~12:00

 科学の発展や学問の進展に必要不可欠なものとされる「好奇心」。自分の持つ知識や世界観からは理解ができない未知の物事に出会い、好奇心を持つことは、古今東西で文明発展の駆動力となってきた。だが意外なことに、ギリシア時代に科学の源流を産みだしたヨーロッパは中世に至ると、「好奇心」を宗教的な「悪徳」とみなし、怪物、奇形、疫病、災害、天文現象といった「驚異」が悪魔化された時期がある。自分と異なる世界観や知識への恐怖は、同時期の魔女狩りにも影響を与えた。一方、東アジアでは、龍、鬼、天災、天文現象などが、王権や国家によって「怪異」として解釈・説明され、行政ツールとして情報処理されてきた歴史があるという。すると、現代のエンターテイメントカルチャーに氾濫する驚異や怪異のイメージは過分に単純化されたものだと気づく。人間を絶えず未知の世界の探求へと向かわせ、近代科学誕生のきっかけのひとつとなったヨーロッパの「驚異」と、東アジアの「怪異」の歴史に迫る。

「驚異」とはなにか?
 大阪の国立民族学博物館で「驚異と怪異 想像界の生きものたち」という特別展が開かれていた。世界各地の民族や文化の中に継承されてきた怪物や化物を、想像上の生きものと一緒に並べて展示するという斬新なものだ。「驚異」や「怪異」とは、ドラゴン、龍などのあり得ない生物や生命現象、あるいは、彗星の落下なども含むあり得ない異常な音、光、モノの動きなどの物理現象のことだ。国立民族学博物館の山中由里子教授は、一神教という共通点をもつヨーロッパのキリスト教世界と中東のイスラーム世界には、「犬頭人」や「人魚」など共通した驚異譚があり、それは不思議なものを目の当たりにしたときの人類に共通する心因があるのではと指摘する。

驚異の増殖と魔女狩りの激化
 太成学院大学の黒川正剛教授は、一見無関係にみえる「驚異の大増殖」と「魔女狩りの激化」とが、実はおおいにリンクし、時代を動かす両輪になったと考えている。「驚異」は魔女が関わる「魔術」や「悪魔」と癒着して認識されていたというのだ。たとえばペストの大流行による大量死も、悪魔と結託した反キリスト教勢力のしわざとされた。その時代背景には、黙示録的な終末論の広がりや、免罪符の販売に端を発するキリスト教社会の断絶と混乱、大航海時代の幕開けによる珍しい生物や事物の発見ラッシュがあった。

驚異の部屋と好奇心
 中世の後半になると、王侯貴族の間で「驚異の部屋」作りが流行する。世界中の「驚異」の品々を集めた博物陳列室だ。その原動力となったのは人間がもつ「好奇心」だが、長らくキリスト教社会では「好奇心」は悪徳とされていたという。好奇心ゆえに知恵の実を食べ楽園を追放されたアダムとイヴの原罪にはじまり、好奇心は七つの大罪のひとつである「傲慢」を生むものとされたのだ。ではなぜ好奇心は現在のように肯定されるようになったのだろうか?

「怪異」とはなにか?
 東アジア漢字文化圏の「怪異」は、「驚異」とはまた異なる特徴をもつ。斎宮歴史博物館の榎村寛之副参事によると、由来は古代中国にあり、「祟」「災異」「祥瑞」という知識にまつろうフシギなコトを指し示す概念として出てきたのが「恠異(かいい)」だと言う。中国では皇帝が悪政を布いた時、「国が滅びるぞ」という「天」からの警告として怪物や異常出産、天体現象といった形で「恠異(かいい)」が現れていたが、日本には「天」の概念がなかったため、まったく別の概念として解釈された。日本における「怪異」の概念とはどんなだろうか?

裁判の飛び道具としての「怪異」
 京都大学大学院の高谷知佳准教授によると、裁判制度がまだしっかり整っていなかった時代に、争い事の勝敗を決める飛び道具として使われたのが「怪異」だったという。というのは、古代日本において「怪異」は行政ツールだったからだ。例えば奈良県にあった寺院、多武峯(とうのみね)の古記録には、木造の神像がたびたび破裂し、そのたびに朝廷に報告し、朝廷から祈祷のための使いが訪れたことが書かれている。しかもそれは多武峯が近隣との紛争を抱え、朝廷からの注目を集めるために行なわれたのだ。だがこれが中世になると、行政ツールとしての「怪異」はなりを潜めていったという。


主な取材先
山中由里子さん(国立民族学博物館)
黒川正剛さん(太成学院大学)
榎村寛之さん(斎宮歴史博物館)
高谷知佳さん(京都大学大学院)
インターメディアテク
国立民族学博物館

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