西洋の名だたる科学者のように宇宙の法則を探究した日本人がいた。その名は三浦梅園。「日本のレオナルド・ダヴィンチ」とも、「日本最大の哲学者」とも称される彼の哲学は江戸時代の天文学に大きな影響を与えた。しかし梅園は科学者ではなかった。その研究を科学へシフトするには、もう一人の天文学者・麻田剛立との協力が必要だったのだ。日本初の精密な月面観測や、ケプラーの法則の独自発見など、2人が協力し合うことによって、天文学史に残る重要な成果が達成されたと考えられている。梅園が探究した宇宙の法則とは何か?生誕300年を迎えた三浦梅園の宇宙論に迫る。
日本最大の哲学者・三浦梅園
今から約300年前の江戸時代後期。大分県の国東半島で、独自の哲学を研究した三浦梅園。彼は西洋の科学がまだ浸透していない日本で、東洋の思想をベースに宇宙の仕組みを探った。
では梅園はどのように宇宙の成り立ちに迫ったのだろうか?その研究のカギを握るのが、梅園が描いた白紙の図だった。
梅園の図の秘密
実は梅園が描いた図は、当時の江戸時代としては先進的なある構造を持っていた。それは3次元の構造。実際に梅園は自らの著書の中で、図を立体的に捉えるように説明している。
では立体的に捉えるとは何なのか?実際に映像を見せてもらうと、球体構造のイメージが現れたのだ。
天文学者・麻田剛立との協力
しかし梅園の専門は哲学。梅園が宇宙の法則を解明するためには、科学的な検証を行なう天文学者の協力が必要だった。その協力者が近代日本天文学の祖とも称される麻田剛立だった。
はたして麻田剛立とはどのような人物なのか?そして2人によって達成された日本天文学史上の重要な功績とは?
ケプラーの第三法則を日本人が独自に発見?
世界の天文学史でもその名が讃えられる麻田剛立。彼の大きな業績の1つとして、彼がケプラーの第三法則を独自に発見したという仮説が提唱されている。しかしケプラーの法則を見つけ出すためには、西洋から伝来して間もない地動説を理解し、認識する必要があった。その認識を与えた人物こそが三浦梅園だったと考えられているのだ。
2人の日本人はどのようにして天文学史上で重要な法則を見つけ出したのか?その仮説を検証する。
ガリレオX300回記念 三浦梅園の宇宙論 近代日本天文学のはじまり
BSフジ
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