黒船がもたらした電信の技術
1854年。アメリカのペリーが率いる黒船によって、電気によって通信を行う「電信」の技術が日本にもたらされた。
電信はそれまでの情報伝達を大きく変えた。例えば狼煙や飛脚など、それ以前の情報伝達は常に物質や交通と共にあった。一方、電信は情報をより速く、より遠くまで伝えることができる。つまり電信は情報を物質や交通から分離させたのだ。
そんなペリーがもたらした電信技術とはどのようなものだったのだろうか?
日本の電信研究
実はペリーの来航と同時期に、長野県でも電信の研究が進められていた。長野市松代町には「日本電信発祥の地」と刻まれた石碑がある。この地で佐久間象山という人物が電信の実用化を志していたという。
天才学者とも呼ばれる松代の藩士、象山は、独学で西洋の科学を学び、大砲や写真機など様々な発明品を生み出した。そんな彼が注目していたのが電信の技術。実際に象山が電信実験に利用したとされる電線が現在に残されていた。
今も長野県で受け継がれる電線の技術
象山の電信研究以降も、長野県では電線の技術が脈々と受け継がれ、通信に利用する様々な電線が製造されている。象山の時代、通信用の電線は「絹巻線」と呼ばれる絹糸を用いた電線だった。そして現在、通信用の電線は同軸ケーブルと呼ばれる電線が主流となっているという。
では同軸ケーブルとはどのような電線なのか?私たちにとっても身近な電線の特徴に迫る。
国際通信の誕生と海底ケーブルの進歩
1871年。長崎県長崎市で海外と通信を行なう国際通信が始まった。今ではインターネットによって、当たり前のように利用できる国際通信だが、その実現には海を超えて情報を伝える海底ケーブルと呼ばれる電線が不可欠だった。
そんな国際通信を大きく変えた電線の1つが同軸ケーブルだ。時代は1960年代の高度経済成長期、同軸ケーブルを用いて太平洋を横断する新たな海底ケーブル網が誕生する。果たして同軸ケーブルは海外との国際通信をどのように変えたのだろうか?そして現在の情報通信を支える海底ケーブル網とは?
情報通信の将来を担う未来の電線
これから情報通信技術はどのように進歩するのだろうか?現在の5Gなどの高速無線通信は、さらなる高速化を遂げ、例えば自動車の自動運転技術などを大きく進展させると考えられている。無線による通信であっても、通信用のアンテナや機器に電気信号を送るためには電線が不可欠だ。そして電線自体も通信技術が高度化するにつれ高性能化が求められている。
そんな未来の電線とは?開発の最前線を追った。
主な取材先
大野 哲弥さん(情報・通信史家)
降幡 浩樹さん(象山記念館)
佐々木 博さん(東特巻線)
中山 毅安さん(東京特殊電線)
堀込 俊之さん(東京特殊電線)
KDDI MUSEUM
郵政博物館
長崎歴史文化博物館
長崎教育庁 学芸文化課
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館 長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム
◯CG映像監修
太田 現一郎さん(横須賀テレコムリサーチパーク 無線歴史展示室)