ガリレオX

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電卓誕生から50年 日本の未来を築いた礎

BSフジ
本放送:04月16日(水)昼14:05~12:00
再放送:04月20日(日)昼11:30~12:00

1964年、シャープが世界で初めてオールトランジスタ電卓を開発してから今年で50年。半世紀前まで車と同じ価格であった電卓も、今や誰にでも手に入る日常品となった。これは偏にエンジニア達の苦労と新しい発想によるところが大きい。 半導体、液晶、太陽電池などの発展。彼等の苦労や新しい発想を原動力に日本はすさまじい勢いで技術革新を遂げ産業大国となった。 その昭和の時代に輝いたエンジニア達に取材し日本産業の50年に迫る。

1964年世界初の電卓
今からちょうど半世紀前、世界に先駆けてシャープが発表したオールトランジスタ計算機。それまで計算機は大きくうるさい機械仕掛のものだったがこの計算機は違った。電子回路で計算することにより静かで、何より机に乗るほど小さかったのだ。これまでの計算機が持つイメージを覆したこの計算機は、のちに電卓と呼ばれ世界に衝撃を与えることとなった。

電卓戦争と呼ばれた時代
1970年代、日本では電卓戦争とまで呼ばれるほど電卓産業が盛んになり、最盛期には50社以上のメーカーが参入し、熾烈な開発競争・価格競争が行われていた。電卓の低価格化、小型化が進むきっかけとなったこの時代とはどういうものだったのだろうか?

トランジスタから集積回路
トランジスタで革新的な小型化に成功したシャープ。しかしシャープの小型化への勢いは止まらなかった。より小さくを目指したシャープが次に目を付けたのはIC。回路を一体化することにより電卓はより小さく、より薄く、消費電力もコンセント送電から電池へ
目まぐるしい技術革新が進んだ。

電卓が行き着いた先
電卓産業の競争が終焉した時、日本の産業は大きく成長し、電卓で培った技術から多くの技術転換をすることができた。シャープの液晶テレビ、スマートフォン。カシオの電子楽器、腕時計…
電卓が産んだ技術は今でも私達の使う多くの物の中に入っている。しかしここに来て日本の産業は諸外国に追い抜かれつつある。戦後の日本産業を世界のトップにまで押し上げたエンジニアに今の心境を語ってもらった。


主な取材先
小松 伸行(東京理科大学)
羽方 将之(カシオ計算機株式会社)
浅田 篤(シャープ株式会社)

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