宮大工の技
神社仏閣を守る上で欠かせない存在が宮大工。というのは周知の事実かもしれない。しかし住宅などを対象にしている一般的な「大工」と、「宮大工」の仕事の差はあまり知られていないのではない。その仕事を目の当たりにすると、文化財を堅牢に作るだけでなく、解体時を考慮し木を細工する宮大工独自の姿が見えた。
さらに彼らの持つ技は、数百年先の木の変化まで視野に入れたものや、目の錯覚を利用したものまであった。
宮大工の歴史
宮大工はいつから存在していたのだろうか?そんな素朴な疑問から、宮大工の歴史を探ると、意外な事実が浮かび上がってきた。なんと飛鳥時代に建てられた「法隆寺」と弥生時代の「登呂遺跡」がある点で、同じレベルだというのだ。さらに、その事実こそ、宮大工の歴史を紐解く上で重要なキーポイントとなることがわかった。
宮大工の問題 - 和釘
宮大工が仕事をする上で、欠かせない「和釘」という釘がある。
和釘は、一般的な円柱状の釘ではなく、四角い形をしており、一本一本、手作業で作られている。その形の特徴から、優れた釘として、千年以上前から現代に至るまで今も尚、宮大工達に重宝されている。しかし今、その和釘が存続の危機にさらされているという。
一体、なぜ和釘は優れているのか?また優れているのならば、なぜ存続の危機にさらされているのだろうか?実際に和釘を作っている職人に取材した。
宮大工の問題 – 人材
今、宮大工を含む大工界は慢性的な人手不足に悩まされている。
その問題を解決するべく、とある大学では、宮大工や大工たちが手作業で行っている技を、ロボットに模倣させ、建築をアシストする技術の研究が進んでいた。
また宮大工たちも既存の修行内容を見直した宮大工養成塾の設立など、新たな取り組みを始めていた。
宮大工の“今”を見つめることで、彼らが抱えている問題を明らかにし、そしてその問題解決の糸口を探った。
主な取材先
金田社寺建築
竹中大工道具館
小由製作所
千葉大学
宮大工養成塾