ソニーのDNAはここにあり!
「次回は、違った分野でもう一つか二つ、文化勲章をもらいたい」平成4年、文化勲章受賞者の共同記者会見の席で述べた井深大の言葉である。井深大はその90年近い人生の3分の2を科学の先端に生きた。敗戦直後の東京で、不当なる儲け主義を廃止し、むしろ小なるを望み、自由豁達にして愉快なる理想工場を目指したのか──百年後まで残る想像力の経営者、井深大のソニー・スピリットを余すところなく描いた決定版!
著者プロフィール
小林峻一(こばやし・しゅんいち)
1941年、三重県生まれ。早稲田大学文学部中退。雑誌記者等を経てルポライターとして独立。著書に『狭山事件─無罪の新事実』(三一書房・共著)、『在日コリアン・パワー』(双葉社)、『JRの妖怪』(イースト・プレス)、『昭和史最大のスパイ・M』(ワック・共著)など。『闇の男─野坂参三の百年』(文藝春秋・共著)で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
目次
序 章 文化勲章をもう一つ- 父と母の肖像
- 予期せぬ不幸
- 父に代わる祖父・基という人物
- 乃木の自刃と電灯がついた日
- 郡長さんの孫
- 母との二人暮らし
- 博覧会に目を輝かす
- 「メカノ」に熱中する
- 北海道の記憶
- 「日本のデンマーク」の科学少年
- 「偉大な父」のイメージ
- 母の再婚
- 自分だけの世界
- 機械いじりの喜び
- 神戸暮らしの始まり
- 神戸一中に入る
- 無線機に魅せられて
- ラジオへのチャレンジ
- ハム仲間たち
- 心機一転
- 早稲田高等学院受験の日
- 〝電気の神様〟山本忠興教授
- コールサイン
- キリスト教と友愛学舎
- 井深特製の電蓄作り
- 反乱
- 富士見町教会で洗礼
- 早大理工学部進学、弱電を選ぶ
- 脚光を浴びた卒業実験
- 野村胡堂との縁
- 人生行路の分岐点
- 植村泰二との出会い
- トーキー映画の幕開けとPCL
- PCL自身の岐路
- 井深が勤務した頃のPCL映画
- 写真化学研究所の活動
- 嘱望された技術者井深
- カメラ、オートバイ、自家用車
- 転職の動機
- 結婚
- 前田多門という人物の魅力
- 前田家と野村家
- 胡堂夫妻との交流
- 日本光音工業という会社
- 樋口、永井、安田を知る
- 「井深さんはひっぱりだこだった」
- 小林恵吾と日本測定器を興す
- メカトロニクスの実現で急成長
- 対潜用磁気探知機の開発
- 空襲激化、須坂への疎開
- 決戦兵器、ミサイルの開発
- 盛田家十五代目当主の幼少年期
- 電気いじりから物理学へ
- 海軍技術士官への道
- 井深と盛田、生涯の出会い
- 敗戦後を考えはじめる
- 上京か残留か
- 東通研を設立
- 前田文相の鮮かな刷新
- 盛田を引き寄せたコラム
- 失敗と成功の試行錯誤
- 井深が描いた理念
- 井深が抱いた戦略
- 前田多門と天皇人間宣言
- 追放前田を社長に据える
- 盛田昭夫の参画
- 東通工の船出
- 次女の不運
- 最初のスプリングボード
- 木原信敏に託した井深構想
- テープレコーダーG型の教訓
- 飛躍はH型と共に
- 乗るか逸るかの決断
- トランジスタをラジオに使う
- 十万台がもったいないか
- モルモット精神
- 「苦労マトロン」の失敗
- 蓄積したノウハウが開花する
- 再婚、心の安寧
- 日本のために科学教育の振興を
- 障害者自立のためのコロニーを
- 幼児胎児教育と左脳右脳理論
- 「東洋医学のデパートを作りたいんだ」
- 求道僧の如き探求
- 「永遠の少年」の巡礼行
- 七十歳を越えてウォークマンを着想
- Oリングテストのプロデューサー
- 近代科学を超えるニューパラダイム
- 井深と盛田、永遠の絆