井深大がめざしたソニーの社会貢献

宮本喜一(ジャーナリスト・翻訳家) 著
定 価:
本体1300円+税
判 型:
四六版並製
ページ数:
212ページ
ISBN:
9784898311325
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創業者・井深大の心と
ソニーの原点とは!

“ソニー・太陽”──大分県日出町にあるこの会社は、ソニー創業者・井深大がその設立に奔走した、障がい者と健常者がともに働く工場である。約170人の社員中、110人が障がい者というこの会社こそ、「愉快なる理想工業」という東京通信工業(現ソニー)の“夢の実現化”であった──。「われわれは、世のため人のために最善をつくす」、ソニー教育財団の設立をはじめ、企業による社会貢献の「開拓者」であった井深大の信念と、その実現までの道のりをたどる。

著者プロフィール

宮本喜一(みやもと・よしかず)
1948年、奈良市に生まれる。ジャーナリスト、翻訳家。一橋大学社会学部、同経済学部卒業。ソニー株式会社に20年間勤務。主に広報(企業広報・技術開発)やテレビ・ビデオの企画・マーケティングを経験。続いてマイクロソフトにも3年間勤務した後、独立してビジネス書の翻訳や著作に取り組む。主な著書に『マツダはなぜ、よみがえったのか?』(日経BP社)、『挑戦続く東大先端研』(日経BPクリエーティブ)。翻訳書に『ジャック・ウェルチわが経営(上・下)』(日本経済新聞出版)、『ウェルチ』(日経BP社)、『トム・ピーターズのマニュフェスト』シリーズ(ランダムハウス講談社)、『ネットワーク経済の法則』(IDGコミュニケーション)、『ビジョナリー・ピープル』『勇気ある人々』(ともに英治出版)、『JUDGEMENT 決断力の構造』(ダイヤモンド社)など多数がある。城島明彦『ソニーを踏み台にした男たち』(集英社文庫)に紹介されている17人のうちのひとり。日本自動車研究者・ジャーナリスト会議(RJC)会員でもある。

目次

第1章 井深大とソニーの原点
「何をするにしても、日本の再建につながる仕事を」
〝テクノロジーの開拓者〟と〝社会を見つめる経営者〟のふたつの顔
「世のため人のためが当然」の企業風土
三二歳で日本測定器株式会社の常務取締役に
戦時研究委員会での経験
「世の中は何もかも変わったんだ。東京へ出ていかなきゃ」
短波ラジオ用コンバーターの製造販売を開始
東京通信工業株式会社の「設立趣意書」
「われわれは、世のため人のために最善を尽くす」
第2章 「盛田君、テープレコーダーで稼がせてもらった学校に恩返しをしよう」
「謹告」と大書された新聞朝刊の全面広告
戦後の企業の中でも先駆的な決断
大量生産のできる製品を追い求めていた
〝未来技術〟・テープレコーダー開発への挑戦
全国各地の学校行脚でテープレコーダーのデモンストレーション
日本初のトランジスタラジオ
東京通信工業株式会社からソニー株式会社ヘ
スプートニク・ショックと神武景気の到来
「理科教育振興資金」の発想
利益の一パーセントにあたる金額を受賞校に
全国の小学校から応募が殺到
ソニーの担当者も審査員も審査に没頭した
審査員三人の思い
賞金は行政当局の一〇年分の予算額の一・五倍
教育現場では教師全員の一致協力する空気が生まれた
ソニー理科教育振興資金受賞校連盟の結成
盛田新社長就任のパーティ費用を、五人の先生の海外研修費用にあてる
井深の狙い通りの成果をあげた海外視察研修
第3章 ソニー・太陽株式会社の誕生、そして希望の家
ある夏の日のソニー本社応接室
「リハビリテーションとは、〝納税者〟をつくること」
「太陽の家」の生みの親・中村裕
井深は、イエスともノーとも答えなかった
従業員五五人、うち身体障がい者五〇人のオムロン太陽電機が生まれる
社会福祉法人太陽の家 特機科ソニー
特機科ソニーから株式会社サン・インダストリーへ
一九八一年九月、特例子会社ソニー・太陽株式会社の誕生
「ウォークマン」の生みの親・大曽根幸三の即断即決
「『ウォークマン』のおかげで、どんな製品でもできる」
「知恵遅れの子どもたちのことを考えると、見過ごすわけにはいかない」
「すぎな会」から始まった身体障がい者、知的障がい者への取り組み
「希望の家」、栃木県鹿沼の地に生まれる
第1章 井深大とソニーの原点
  • 「何をするにしても、日本の再建につながる仕事を」
  • 〝テクノロジーの開拓者〟と〝社会を見つめる経営者〟のふたつの顔
  • 「世のため人のためが当然」の企業風土
  • 三二歳で日本測定器株式会社の常務取締役に
  • 戦時研究委員会での経験
  • 「世の中は何もかも変わったんだ。東京へ出ていかなきゃ」
  • 短波ラジオ用コンバーターの製造販売を開始
  • 東京通信工業株式会社の「設立趣意書」
  • 「われわれは、世のため人のために最善を尽くす」
第2章 「盛田君、テープレコーダーで稼がせてもらった学校に恩返しをしよう」
  • 「謹告」と大書された新聞朝刊の全面広告
  • 戦後の企業の中でも先駆的な決断
  • 大量生産のできる製品を追い求めていた
  • 〝未来技術〟・テープレコーダー開発への挑戦
  • 全国各地の学校行脚でテープレコーダーのデモンストレーション
  • 日本初のトランジスタラジオ
  • 東京通信工業株式会社からソニー株式会社ヘ
  • スプートニク・ショックと神武景気の到来
  • 「理科教育振興資金」の発想
  • 利益の一パーセントにあたる金額を受賞校に
  • 全国の小学校から応募が殺到
  • ソニーの担当者も審査員も審査に没頭した
  • 審査員三人の思い
  • 賞金は行政当局の一〇年分の予算額の一・五倍
  • 教育現場では教師全員の一致協力する空気が生まれた
  • ソニー理科教育振興資金受賞校連盟の結成
  • 盛田新社長就任のパーティ費用を、五人の先生の海外研修費用にあてる
  • 井深の狙い通りの成果をあげた海外視察研修
第3章 ソニー・太陽株式会社の誕生、そして希望の家
  • ある夏の日のソニー本社応接室
  • 「リハビリテーションとは、〝納税者〟をつくること」
  • 「太陽の家」の生みの親・中村裕
  • 井深は、イエスともノーとも答えなかった
  • 従業員五五人、うち身体障がい者五〇人のオムロン太陽電機が生まれる
  • 社会福祉法人太陽の家 特機科ソニー
  • 特機科ソニーから株式会社サン・インダストリーへ
  • 一九八一年九月、特例子会社ソニー・太陽株式会社の誕生
  • 「ウォークマン」の生みの親・大曽根幸三の即断即決
  • 「『ウォークマン』のおかげで、どんな製品でもできる」
  • 「知恵遅れの子どもたちのことを考えると、見過ごすわけにはいかない」
  • 「すぎな会」から始まった身体障がい者、知的障がい者への取り組み
  • 「希望の家」、栃木県鹿沼の地に生まれる
第4章 発展進化していく井深大の「社会貢献活動」
ソニー教育振興財団の設立
井深の視野は、理科教育から教育全般に広がる
幼児開発協会の発足と理科教育振興活動の質的転換
理科教育を重視しながらも、ゆたかな心を持つ〝人づくり〟へ
井深の志を受け継ぎ、着実に広がる教育財団の活動範囲
教育財団の変革に取り組んだ渡辺亘之
「科学の泉─子ども夢教室」にたくした白川英樹の思い
「ウォークマン」七五万台の生産を一六か月で達成
「ソニー・太陽の経営者は、身体障がい者にするべきだ」
売上高五八億円強、従業員一八一人にまで成長したソニー・太陽
ソニーの人事部門「障がい者雇用推進部」
知的障がい者が生産活動を
ソニーに頼らず、地域に根ざし、入所者が自立した生活を送れるように
第5章 今こそ問われる企業の社会的責任とは何か
井深同様、本田も〝世のため人のため〟を常に忘れなかった
ホンダ安全運転普及本部
「よし、やろう。ホンダもこういう仕事をしなきゃダメなんだ」
「オムロン太陽電機が長男、ソニー・太陽が次男、ホンダ太陽は三男坊」
立石一眞の哲学
井深がプレゼントを始めたランドセル
「For the Next Generation(次世代のために)」
第4章 発展進化していく井深大の「社会貢献活動」
  • ソニー教育振興財団の設立
  • 井深の視野は、理科教育から教育全般に広がる
  • 幼児開発協会の発足と理科教育振興活動の質的転換
  • 理科教育を重視しながらも、ゆたかな心を持つ〝人づくり〟へ
  • 井深の志を受け継ぎ、着実に広がる教育財団の活動範囲
  • 教育財団の変革に取り組んだ渡辺亘之
  • 「科学の泉─子ども夢教室」にたくした白川英樹の思い
  • 「ウォークマン」七五万台の生産を一六か月で達成
  • 「ソニー・太陽の経営者は、身体障がい者にするべきだ」
  • 売上高五八億円強、従業員一八一人にまで成長したソニー・太陽
  • ソニーの人事部門「障がい者雇用推進部」
  • 知的障がい者が生産活動を
  • ソニーに頼らず、地域に根ざし、入所者が自立した生活を送れるように
第5章 今こそ問われる企業の社会的責任とは何か
  • 井深同様、本田も〝世のため人のため〟を常に忘れなかった
  • ホンダ安全運転普及本部
  • 「よし、やろう。ホンダもこういう仕事をしなきゃダメなんだ」
  • 「オムロン太陽電機が長男、ソニー・太陽が次男、ホンダ太陽は三男坊」
  • 立石一眞の哲学
  • 井深がプレゼントを始めたランドセル
  • 「For the Next Generation(次世代のために)」
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