戦中・戦後の混乱期における
今上天皇唯一の記録!
今上天皇唯一の記録!
─アメリカ軍が、殿下を本国に拉致するとの情報が入った。国体護持のためこれは絶対に阻止しなければならない。私の体中に熱い血がかけめぐった─。元学習院御用掛である著者は、今上天皇の学童疎開先の日光で戦中を過ごし、戦後の混乱期は小金井の後仮寓所で今上天皇とともに過ごした。貧しいけれど周囲の愛情に見守られた少年時代から美智子さまとのご成婚まで、戦中、戦後の混乱期に常にそばにいた御用掛だけが知る真実!
著者プロフィール
高杉善治(たかすぎ・ぜんじ)
1901年、栃木県生まれ。元陸軍中佐、陸士37期生。近衛歩兵第四連隊を経て、二・二六事件の際には、近歩四中隊長として討伐軍に参加、日中戦争では中国各地の攻略戦に従事した。のち陸軍省恤兵部高級部員、学習院軍事教官兼御用掛を歴任。終戦後、宮内庁御用掛嘱託をつとめた。平成の天皇とは皇太子時代の学習院初等科6年の時から御用掛にあたり、戦争中は疎開先の静岡県沼津や日光湯元で、戦後は武蔵野小金井の仮御所で、戦中戦後のご苦難の体験を共にし、「人間皇太子」のご試練の時代を身近に観察した。1978年10月16日死去。
目次
第1章 皇太子さまの疎開- Ⅰ 両殿下と離れて
- 殿下も学童疎開
- 戦争激化と殿下の「避難案」
- 「東京空襲」と学習院
- アメリカ軍B29の爆撃
- 奥日光湯元へ再疎開
- 質素なホテル住まい
- きびしい湯元の日課
- 食事は野菜の煮付け
- 教官に説諭される両殿下
- 食糧難に悩む疎開学童
- イナゴも食糧のうち
- 栄養失調寸前の学習院生徒
- Ⅱ 空襲と本土決戦
- 有末中将の戦況報告
- 敵艦載機、日光に現る
- 阿南陸相の最後の訓示
- 終戦のご放送を聞く
- 近衛師団の反乱
- 第十四師団の抗戦企図
- 殿下をアメリカへ強制拉致の情報
- 湯元集落の義勇隊
- 終戦後の日光生活
- Ⅰ お住まいを失って
- 戦火でお住まいを失った殿下
- 赤坂離宮の仮住まい
- 帽子取りごっこと相撲
- マニラの本間裁判
- 禁衛府、涙の解散
- Ⅱ 好奇心旺盛に
- 質素な御仮寓所
- 米よこせ騒動の前後
- 御所内も食糧の自給自足
- 殿下の慣れぬ農耕作業
- 手製のカバンで通学
- オタマジャクシ捜し
- 鶏を飼いたいが予算がない
- 愛犬〝多摩〟のこと
- 殿下、明治天皇御製を朗唱
- 璽光尊の来訪
- お枕刀としろうと理髪師
- 乗馬と大弓
- 篤農青年・竹中太郎君のこと
- 農作の達人、作物と対話する
- お祭り見物とお買い物
- 殿下のテニス事始め
- これが「コロンブスの卵」
- 秋の七草とお誕生日のかくし芸
- むし会のグループ
- 老警手と老省仕の感激
- 両陛下も小金井へお遊びに
- 紋付き羽織袴の消防手
- Ⅰ 民主化された皇室
- ご成婚ご披露の宴
- 肩のこらないパーティー
- 陛下の質素な肌着
- 三種の神器について
- 神祭り行事の多い宮中
- 天皇と供奉将校
- 戦前の宮中の格式
- 「抱き上げ大尉」の話
- 故穂積東宮大夫の思い出
- 故山田康彦侍従長のこと
- のんびりできぬ殿下の日常
- Ⅱ 皇太子さまのご外遊
- ヨーロッパ十一か国のご視察
- 殿下の壮行パーティー
- 殿下のご外遊の意義
- 殿下のステートメント
- 内舎人への愛情と失敗
- パジャマ姿で奉迎者にごあいさつ
- 西ドイツ人気質
- エチオピアの金のお皿
- 美智子妃とパキスタンの蠅
- 殿下にお仕えして