
A級戦犯、戦争、天皇、教育、そして日本人
終戦後30年ルバング島で戦い続けた小野田氏と、陸軍士官学校出身の中條氏のふたりが、「これだけは知って欲しい」と“靖国を忘れた日本人”に熱く語りかける本書。なぜ戦死者を祀るのは「靖国神社」ではなくてはならないのか、なぜ日本は戦争に突入せざるを得なかったのか──。戦線へ送り込まれる際の思いや、善悪で語れない戦場の熾烈さ、戦時中の天皇の存在……など、かつて日本のために命を懸けた両人の言葉が胸に迫る。
著者プロフィール
小野田寛郎(おのだ・ひろお)
㈶小野田自然塾理事長。1922年和歌山県生まれ。貿易商社勤務後、44年陸軍中野学校二俣分校に入学、12月にフィリピン戦線へ派遣される。以後30年間、任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行。74年谷口義美元少佐の作戦任務解除命令口達により、日本に帰国。翌年ブラジル移住。84年「小野田自然塾」を開校する。2005年藍綬褒章を受章。著書に『小野田寛郎──わがルバン島の30年戦争』(日本図書センター)『君たち、どうする?』(新潮社)など。
中條高徳(なかじょう・たかのり)
英霊にこたえる会会長、日本戦略研究フォーラム会長、㈳日本国際青年文化協会会長。1927年長野県生まれ。陸軍士官学校60期生。旧制松本高校を経て、学習院大学卒業後、アサヒビール入社。常務取締役営業本部長として、「アサヒスーパードライ」作戦による会社再生計画を成功させる。同社代表取締役副社長、アサヒビール飲料会長を経て、アサヒビール名誉顧問に。著者に『おじいちゃん戦争のことを教えて──孫娘からの質問状』『おじいちゃんの「わが闘争」』(致知出版社)『誇れる国』(ワック)など。
目次
- 「僕は靖国神社の落第生」
- 小泉首相の前倒し参拝の愚
- 「心ならずも戦争に行った」とは何事か
- 講和条約締結により「A級戦犯」はいなくなった
- 田中角栄元首相からもらった見舞金「百万円」
- ロシアからの靖国参拝申し出を断った外務省
- 死んでいった戦友は靖国にいる
- ハバロフスク知事に「なぜ日本人の墓が草ぼうぼうなのか」
- 貞明皇后が示されたもの
- 財界人よ、社益のために国を売るなかれ
- 国籍を離脱してからモノを言え
- 漢口で見聞きした、経済人の醜さと卑しさ
- 二百四十六万の英霊の心と、今の日本人の心を結びつけたい
- 戦争回避のために誕生した東條内閣
- 軍人は一番割に合わない
- 「慰安婦」はいても、「従軍慰安婦」なんていなかった
- 戦意をさんざん煽った朝日新聞
- ハリマンと満鉄を共同経営していたら……
- 中野学校が教えた「天皇観」とは
- なぜ軍旗の親授式をつくったのか
- 戦ったのは、「国」と「国民」と「天皇」のため
- 終戦後、なぜ竹田宮様は満州に向かったか
- 東亜を安定させることが、何より大切だった
- なぜ天皇は開戦を止められなかったか
- なぜあの時投降しようと思ったか
- 女帝論はいったん元に戻って考えるべき
- 百合子妃殿下に「夫婦ゲンカはなさいますか?」
- 戦争の勝ち負けは「力の結果」
- 「テロ」と「戦争」の違いも分かっていない日本の政治家
- 追いつめられた国家は、戦争をするしかない
- 海洋国家・日本にとっての「島」と「半島」の重要性
- 小僧でさえ「タダで頭は使わない」という中国人のメンタル
- ハーグ陸戦条約を無視してまで、日本民族を警戒したアメリカ
- なぜ「小野田自然塾」を始めたか
- 「ノブレス・オブリッジ」は日本人が一番持っていた
- 子どもに言っても分からないことは、叩いて教えるべき
- 人間は所詮、ひとりでは生きていけない
- 家庭で行うべき三つの「しつけ」
- 男には守るべきもののために、命がけで戦うときがある
- 便所掃除の大切さ
- 日本はどれほど恵まれているか
- 支那に弱みを見せるとロクなことがない
- 「戦犯」で処刑された人は「受難者」だ
- 戦友への礼が「軍国主義に荷担する行為」?
- 「心ならずも」で特攻機には乗れない
- カネ、カネ、カネの世の中になってしまった
- 「あやまちは繰り返しません」の文言に衝撃
- 日本はすっかり怖じ気づいてしまった
- 「代替施設案」に英霊は怒っている
- 〝真の日本人〟が多かった昭和二十年代
- 舌を巻く巧妙な占領政策
- 山崎拓・加藤紘一は〝間違いに気づかぬまま大人になった子ども〟
- 日本人は疑うことを知らないのか
- 財界の意向を受けて日経が流した?
- メモの内容と陛下の言葉とは矛盾が生じる
- 慰霊施設の建設は「死人にムチ打つ行為」
- 戦争は死んだ人を基準に考えるべき
- 靖国参拝が「踏み絵」になっている
- 「侍の気持ちは分からない」でいい