日本人が気づかない日本の美点とは
「私は日本へやって来て、なんと幸運なのか」──そう語る著者は日本で生活して30年になる。しかし、来日当初は「日本文化」という大きな壁にぶつかった。逃げることなく理解しようとし続け、「日本文化」とは自然に対するいっそうの高度化として次第に形づくられていったものであり、この細やかな感性こそが「小さないのち」に触れて感動をもたらしていると気づく。人間と自然が融合する「日本文化」は、限界にぶつかった近代以降の考え方に変わる新しい世界であり、多くの人々に熱望されているのだ。
著者プロフィール
呉 善花(お・そんふぁ)
拓殖大学国際学部教授。1956年、韓国・済州島生まれ。
1983年に来日し、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程修了。1998年、日本に帰化する。著書に『攘夷の韓国 開国の日本』(文藝春秋、第五回山本七平賞受賞)、『スカートの風(正・続・新)』(三交社、角川文庫)、『韓国併合への道』『侮日論』(文春新書)、『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館新書)、『私は、いかにして「日本信徒」となったか』『「見かけ」がすべての韓流』『虚言と虚飾の国・韓国』『もう、この国は捨て置け! 韓国の狂気と異質さ』(ワック)など多数。
目次
- まえがき
- 日本社会は何社会と言えばいいのか
- 自然の神々に手を合わせるのはなぜ?
- 武士=野蛮=軍国主義という韓国人の感覚
- 来日当初の「日本人は冷たい」という印象
- 適当な「間」を置いて、相手の気持ちを察するのが日本人
- 韓国・中国とは「間」を置いて付き合うのがよい
- 日本人は心の目で相手を見ている
- 日本語にしかない受け身の話法
- なぜ受け身の立場に立ちたがるのか
- 日本人は成り行き主義者である
- 「おのずから」という考え方
- 能動的受け身という不可解さ
- 漱石の内発と親鸞の他力
- 日本人にとっての「個人」と「社会」
- 「ありがとう」と「お陰さま」
- 親切がサービス精神にもよく生かされている
- 伝統技術と究極のアマチュアリズム
- いのちのはかなさに触れて感動する日本人
- 「わび・さび」という美意識
- 人間と自然を同一で対等なものとみなす
- 複合・融合へと働く文化メカニズム
- 縄文時代から住居の基本は「柱立ち」だった
- 伝統的な職人技術は、自然との生命的な交感による物づくりの技術
- 日本人は意識の奥底で、自然物を人間のように感じている
- 神々と自然への思いを乗せる日本語
- 心の歴史を保存する日本語
- 日本語の意味の広さと深さ
- 言葉は生命的な存在そのものとみなされている
- 風潮としての「安全神話崩壊」と現実のギャップ
- 日本国民の不安傾向は高まっている
- 江戸の治安維持・警察機構
- 防犯の必要性を誰もが感じていない社会があった
- 罪は清め祓うことで消え去るという思想
- 祖霊・カミの住まう豊饒なる「あの世」
- 日本人の自然観=死生観の原型
- すべての衆生が仏になれる
- 山を降りて平地に向かった仏教
- 自ら孤独な出家遁世の道へ入った聖たち
- 肉食妻帯は極楽往生への妨げにはならない
- 法然、道元、日蓮の新しさ
- 親鸞の浄土への思いの向け方
- 日本仏教は一貫して日本人の自然観・死生観を吸収してきた
- 常世国から打ち寄せ来る浪
- 水辺の「子生み」が意味するもの
- 母系制社会と父系制社会の出会い
- ヒメ・ヒコ制と兄弟姉妹のきずな
- 日本には、いまなお母系優位の価値観が息づいている