戦艦大和は、第二次世界大戦当時、世界最大の戦艦だった。全長263m。幅38.9m。出力15万馬力。主砲は、長さ21m、砲口径46cmで、「戦艦相手でも一発で轟沈させられる。敵機の編隊の中で炸裂したら10機は落ちる」と言われた。まさに日本が誇る“不沈艦大和”であった。しかし、その戦果は薄く、不完全燃焼の歴戦であった。
そして、日本の敗色が濃厚となった1945年4月、沖縄に向けて出撃する。だが、4月7日、鹿児島県の坊の岬沖西方に出た途端、米海軍のイナゴの大群のごとき艦載機に襲われ、2時間あまりの激戦の末、大和はついに横転して沈没した。
15歳で海軍を志願した著者・八杉康男氏は、海兵団、砲術学校で抜群の才能を発揮。大和乗艦時は上等水兵だったが、抜擢されて艦橋トップの測距儀を担当した。その八杉氏の目には、戦艦大和の最後がどのように映ったのか? 大和沈没の真実とは?!
著者プロフィール
八杉 康夫(やすぎ やすお)
1927年、広島県福山市生まれ。43年、15歳で海軍志願。45年、戦艦大和の乗組員になり、4月、沖縄特攻で撃沈されるも生還。敗戦まで本土決戦用の陸戦隊員として訓練中、原爆投下で救援活動に行き、被爆者となる。55年から戦艦大和探索の資料集めに奔走。80年、第一次大和捜索、85年、第四次捜索で海底の大和に再会。NHKと全貌を映像化。語り部として講演を続ける。調律事務所、弦楽器工房経営。
目次
第1章 音楽好きの軍国少年
- 武士の商法で豆腐屋さん
- 早かった舞台経験
- 「もらい子」だった父
- 配属将校と気が合わず中学退学
第2章 海軍志願兵
- 「甲上」で合格
- 「天皇のために死ぬ」に疑問
- 二十四分隊へ
- 横須賀で聞いた「新型爆弾」
第3章 大和乗艦
- お前の行き先は「大和じゃ」
- ついに大和乗艦
- お守り袋の日記
第4章 永訣の朝
- 母に最敬礼
- 天一号作戦発令
- 草鹿参謀長の一言
- 力むなよ、力まなければ勝てるぞ
- 発射されなかった敵の魚雷
- 片道燃料説は噓
第5章 女神微笑まず
- レンズを真っ黒にした大群
- 後部艦橋全滅
- 「奄美大島にもいけんぞ」
- 「逃げる気か」と喉元へ日本刀
- 眼前での割腹自殺
第6章 撃沈、四時間の漂流
- 大和撃沈、そして大爆発
- 降ってきた「アルミ箔」
- 丸太を流してくれた高射長
- 睡魔に負けた少年兵
第7章 重油の海からの生還
- 繰り広げられた醜態
- 嬉しかった殴打
- 満開の桜に男泣き
- 祖母の予言
- 割り込み男を殴りつける
第8章 本土決戦隊へ
- 第二十三陸戦隊へ
- 自爆部隊の絶望的訓練
第9章 ヒロシマの閃光 131
- 朝礼で見た白い光
- 足を摑んだ少年
第10章 呉警備隊で聞いた玉音放送
- 原隊復帰
- 「我、敗戦に考ガフ」
- 「原爆は神の再来です」
- 遺族には言えなかった
第11章 再生のきっかけ
- 素人のど自慢
- 保本少尉の妻
- 神戸で調律師修行
- 原爆の後遺症が
第12章 大和探し
- 豊かさへの疑問
- 名著にあった「徳之島沖」
- むなしかった慰霊祭
- NHKとの合同調査
- 浮き上がった頭蓋骨
- 辺見じゅんさん、角川春樹さん
第13章 真相を求めて
- 川崎高射長の娘と妻
- 「漂流者の手首を切り捨てた」
- 吉田満氏に問いただす
- ありえない「新生日本」
- 水交会員も憤激
- 海水注入による犠牲は事実
第14章 語り部として
- 大艦巨砲主義はなぜ
- 一発も撃てなかった主砲
- 「生きろ、生き抜くんだ」
- 戦争責任について
- 大和の語り部として
旧版あとがき
付録 戦艦大和小史