1998年に三代目・若乃花が誕生して以来、日本人横綱は出ていません。さらに2003年に貴乃花が引退して以来、10年以上、大相撲で日本人横綱がいない状態が続いています。昔からの相撲ファンは早く日本人横綱が誕生して欲しいと思っているのではないでしょうか。
本書は、元小結で現在、NHKの相撲解説者の舞の海秀平さんが、自らの相撲人生を振り返りながら、相撲界のあれこれを、あらゆる角度から紹介しています。相撲や相撲観戦に少しでも興味のある方が本書を読めば、これまでの相撲の楽しみ方が随分と違ってくると思います。まさに大相撲の醍醐味がわかり、大相撲を十倍楽しめます。
著者プロフィール
舞の海 秀平(まいのうみ・しゅうへい)
1968年、青森県鰺ヶ沢町生まれ。日本大学相撲部で活躍。山形県の高校教師に内定していたが、夢であった大相撲への道をかなえるため、周囲の反対を押し切り大相撲入りを決意。1990年5月、出羽海部屋に入門。同月、初土俵を踏む。角界最小の体ながら、「平成の牛若丸」「技のデパート」の愛称で親しまれ、三役の小結となる。1999年11月の九州場所後、引退。
引退後は、NHK大相撲解説ほか、テレビやラジオ、新聞のコラム、講演など幅広く活躍。2011年度から、近畿大学経営学部客員教授。著書に『土俵の矛盾』(実業之日本社)、『小よく大を制す! 勝負脳の磨き方』(育鵬社)がある。
目次
- まえがき
第1章 なぜ、私は相撲に魅せられたのか
──私が相撲界に入るまで
- 小学校時代から相撲に馴染んでいた
- いつかは大相撲の世界に
- 中学二年のとき、一度は相撲をやめようと思った
- 中学時代の顧問の先生は酔っ払いの熱血漢だった
- 初代・若乃花に吊られない技を直伝される
- 地元の高校からは誘われず、隣町の高校に
- 高校相撲部、入ってみたら猛稽古で地獄の日々
- 高校の監督の言うままに日大相撲部に進学
- 両親は教育熱心で、三人の子どもを東京の大学へ
- 東京の第一印象は怖いところ
- 日大では四年になって、ようやくレギュラーに
- 「プロになれる」という手応え
- 後輩の死をきっかけにプロになる決意
- 予想に反して新弟子審査で不合格に
- 内定していた山形県教育委員会にひたすら頭を下げる
- 死ぬほどの痛みをこらえて頭にシリコンを入れ、二度目の検査に臨む
第2章 相撲から人生を学んだ
──相撲部屋の生活
- 五場所で「関取」になり、奨学金を全額返済
- 昔の師匠は雲の上の存在だった
- 番付が下の者は、一番早く起きて、一番あとに食事
- 相撲部屋のちゃんこの中身
- 稽古のあと、午後は二時間ほど昼寝
- しつけは、部屋によってまったく違う
- 稽古の中身は自分次第
- 稽古の結果は半年後に出てくる
- 出稽古は部屋次第
- 相部屋生活に耐えられなければ、力士には向いていない
- 私生活については自己責任の世界で厳しくない
- 番付が絶対的な世界
- 関取になれば「付け人」が数人は付く
- よく遊んだときのほうが調子がいい
- 出羽海部屋は気風がよかった
第3章 日本人が横綱になれない理由
──日本人が変われば相撲界も変わる?
- 日本人横綱が生まれない背景
- かつては父親が怖いのは当たり前だった
- 権利だけを主張する最近の親が教育を悪くしている
- 子どもには、勝ち負けや順位が励みになる
- 「ハングリー精神って何ですか?」
- 厳しい環境は、いい体験になる
- 言葉で傷つく、ひ弱な若者が多くなっている
- 最近は押し相撲ばかり
- 相撲はただ勝つだけでなく、内容を求められる
- 相撲の勝負と他のスポーツの勝負の違い
- 人情相撲も相撲の味わい
- 週刊誌の記事に目くじらを立てても仕方ない
- ビジネス面から見た大相撲
- 相撲では何十億円は稼げない
- モンゴル出身力士と日本人力士の意欲の違い
- 大相撲は日本独自の文化
第4章 大相撲を十倍楽しむために
──裏方から見る大相撲
- 十五歳で出羽海部屋に入門
- 仕事は見て覚える
- 床山の数も行司、呼び出しの数も部屋によって違う
- 舞の海はいままでにいないタイプの力士だった
- 関取になれる人、なれない人はどこが違うか
- タニマチとの付き合い方も人それぞれ
- いまの相撲人気はまだまだ危うい
- 現状では日本人横綱は期待できない
- 豪栄道、稀勢の里は横綱になれるか
- 「外国人何するものぞ」という気概を持ってほしい
- 横綱はなぜ張り手をやってはいけないか
- プロの力士としての美学
- おかみさんの役割
- 佐田の山親方から怒られると弟子は喜んでいた
- 佐田の山親方の改革は周りの反対でつぶされた
- 現役力士に対する一言コメント