涙と感動の実話
終戦直後、マッカーサー率いるGHQが来襲。天皇制度の存続が危ぶまれる無理難題を次々につきつける。その危機を救ったのが、「皇室をお護りせよ」と東久邇宮首相から内々の命令を受けた鎌田銓一中将。彼は米国に留学し、米陸軍で大隊長も務め、マッカーサーにも会い、そのときの米兵部下がGHQに何人もいた。軍票導入寸前の非常事態も、彼の人脈と機転で阻止。「生前退位」問題で揺れる皇室問題を考える上でも貴重な一級史料! (著者は鎌田中将の子息)
著者プロフィール
鎌田 勇(かまた・いさむ)
実業家、作曲家。1928年(昭和3年)6月2日東京で生まれる。学習院中等科高等科に学ぶ。1945年、陸軍士官学校に入学することになるが、終戦で閉校して学習院に復帰。父・銓一の秘書的な役割を果たした。音楽への造詣が深く、演奏でも米軍将校と交流を深める。慶應義塾大学文学部を卒業し、沖電気入社。沖ユニシス社長、日本ユニシス取締役、ジェイビルサーキット日本代表などを歴任。音楽関係では、学習院オーケストラの指揮者を務めるほか、作曲家として活躍。音楽活動を通じて皇室との交流も持つ。著書に『音楽の聞こえる小さな家―ハーモニーに包まれた皇室の肖像』(時事通信社)、音楽作品に自作の交響曲、協奏曲、室内楽曲などを収録した『KAMATA COLLECTION』(ビクターエンタテインメント)などがある。
目次
第一章 日本の戦後を救った、厚木での「再会」
- 厚木の最も暑い日
- 「ミスター・カマダはどこだ」
- 昨日の敵と談笑
- 「殺される」覚悟でやってきた先遣隊
- 奇跡的な「再会」による戦後の始まり
第二章 人生最後と決めた日に「皇室をお護りせよ」の密命
- 北京で迎えた昭和二十年八月十五日
- 死より重い「新たな使命」
- 残された時間はわずか一週間
- 東久邇宮が手をついて
- 厚木飛行場は惨憺たる状況
- 日本人の飢える中、米軍食糧を用意
- 残された時間はあと二十四時間
- 準備はできた、あとは祈るのみ
第三章 「技術」を学んで国にご奉公したい
- 資源が乏しい日本を支えるのは技術
- 注目を集めた実弾射撃実験
- 上原元帥の一言が銓一の運命を変えた
- 入学許可を求めて直談判
- 研究スケールに目を見張る
- 驚くほど親切なアメリカ人たち
- 新聞は日本批判、町の人は親日的
- アイム・ハングリー
- 日本に好感を持つ教授たち
- アメリカの母、クーパー夫人
第四章 米軍の指揮官となった日本の工兵将校
- 手強い相手
- 工兵重視のアメリカ軍
- 家屋をまるごと渡河させる
- 数式を示して工兵の信頼を得た
- アメリカ兵から慕われる
- 英語が得意でなくても
- 日本人の評価は高かった
- 剣道がフェンシングに勝った
- アメリカ兵の強さ
- 気の重い密命
- 連隊長の配慮
- マッカーサー参謀総長との対面
- 上原元帥への報告は叶わなかった
第五章 兵站を軽視して、勝つことはできない
- ヨーロッパの要塞と交通
- 交通課長として東京湾を開く
- 陸軍省の局長会議に失望
- アメリカの力を過小評価
- 朝鮮海峡のトンネル構想
- 戦時下の鉄道敷設は予想以上に困難
第六章 マッカーサーが突然やって来た
- 工兵の絆
- マッカーサー用の車が盗まれた
- 敗戦を思い知らされる
- マッカーサー到着を誰も見ていない
- 早くも、テンチ大佐との別れ
- 何でもカマダに頼め
- 降伏文書は調印された
- 夜中、捨て身の訪問
- 日本再建への第一歩が始まる
- アイケルバーガーとの交渉
- 杉山元帥の出頭
- 「鎌田、頼む」
- 第七章 「国民外交」で天皇陛下をお護りする
- 国民外交の舞台となった「本牧の家」
- マッカーサー元帥が目の前に
- 国民党軍の名古屋進駐を阻止
- 米軍高官との信頼関係
- アメリカの世論を変える
- フォート・デュポンの縁
- 四人の集まり
- 皇族挙げての接待
- 米軍の対応が変化
- 上陸予定だった海岸線に涙したダン大佐
- アメリカ世論は和らいできたのか
- 降伏調印式一周年パーティに招待されたが
- 天皇制度は維持された
- あとがき
- 参考文献・資料一覧
- 鎌田銓一略歴