「集団自決」の真実_表紙

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実

曽野綾子著作集/時代①

曽野綾子(作家) 著
定 価:
本体1200円+税
判 型:
四六判並製
ページ数:
384ページ
ISBN:
9784898314272
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日本軍の住民自決命令はなかった!

先の大戦末期、沖縄戦で、「渡嘉敷島の住民が日本軍の命令で集団自決した」とされる“神話”は真実なのか!? この“神話”は、多くの部分が推測の範囲で断罪され、しかも推測の部分ほど断罪の度合いも激しくなっている、という一種の因果関係が見られる。神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできないが、著者の取材で、「日本軍が自決命令を出した」と証言し、証明できた当事者はいなかったのである。徹底した現地踏査をもとに「惨劇の核心」を明らかにする!

著者プロフィール

曽野綾子(その・あやこ)

作家。1931年、東京生まれ。聖心女子大学文学部英文科卒業。
ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章。日本芸術院賞・恩賜賞受賞。著書に『無名碑』(講談社)『神の汚れた手』(文藝春秋)、『貧困の僻地』『人間の基本』『人間関係』『風通しのいい生き方』(以上、新潮社)、『野垂れ死にの覚悟』(ベストセラーズ)、『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎)、『人間になるための時間』(小学館)、『夫婦、この不思議な関係』『悪と不純の楽しさ』『私の中の聖書』『都会の幸福』『弱者が強者を駆逐する時代』『この世に恋して』『想定外の老年』(以上、ワック)など多数。

目次

新版あとがき 
 あれは、何年のことであったか、私はエジプトのカイロのホテルの広々としたテラスで、日本の全国紙のカイロ特派員と会っていた。まだ私がずいぶん若い頃のことだった。
 私は今でこそ、中近東やアフリカの問題に関して、少しは体験も重ねたけれど、その頃はほとんどアラブ諸国の文化に関しても無知だったから、私に会った紳士的な日本人は、誰もが、私を少し教育してやろうという気になってくれたのかもしれない。
 エジプト情勢と、その人の仕事上のテリトリーでもあったらしいアラブ諸国の話をしてくれた後で、この人はイスラエルのことをこう言ったのである。
「ほんとうにイスラエルなど、取材しようとも思いませんね」
 この言葉を聞いた時の私の衝撃はかなり大きかった。私は幸か不幸か、その時まだ、イスラエルにもほんの数回しか行ったことがなかったし、新約聖書の勉強も終わってはいなかった。しかしそれでも私の中で、「この人の言うことは違う!」と無言で囁くものがあった。
 それはアラブ諸国とイスラエルと、どちらの国の肩を持つか、という判断において違ったということでもなければ、私がどちらかに対して身贔屓と思われるような感情移入をしたことがあるということでもなかった。私はどちらかというと、一律に「外人拒否」型の精神構造を持っていて、日本人以外の人と会って、外国語で喋っても、基本的には相手を理解できる、とも思っていないのである。
 私はその時、相手に一言も反対せず、穏やかに彼の教えを感謝して別れたのだが、私が内心、彼の言葉に関してかなり激しい拒否反応を起こしたのは、日本のジャーナリズムの主流に立つ人が、これでいいのか、という点であった。
 外交や政治は、相撲やサッカーとは違う。気楽に贔屓をつくって、夢中で一方を応援すればいいというものではない。それでもある人が、人間として、どちらかの国民性を好きになることは当然あるだろう。付き合う外国人として、ドイツ人気質のほうがいいか、イタリア人とのほうが楽しいかという問題と似ている。
 しかしジャーナリストとしては、簡単に態度を決めてはならない。贔屓に対して、嫌いな方があれば、なおさらそちらも同等に取材しなければならない。また記事の中では、贔屓そのものを匂わせてはならない。好悪、正邪の判断は、最終的には読者に委ねるという聖域を残さねばならない。
 このカイロの出来事は、爾来、私の中で一つの姿勢を支える支柱になったような気がしている。もし状況が対立したものなら、私はそのどちら側からも取材するという原則を、この人は私の中につくってくれたからである。
 本書を書くに当たっての、これが私の第一の基本的な姿勢であった。
 第二の姿勢は、私が自分の中で、やはり対立と分離ということを深く戒める姿勢が昔からあったということだ。私の見る限り、純なものは現世になかった。人間は実に複雑な意味で、雑多な要素を内蔵している。正義や善のみの代表という人もいず、悪の要素以外に持ち合わさなかった人というものもいない。いないから、前者を神として、後者を悪魔として、(幼稚な)人間は認識するほかはなかった。神と悪魔以外の中間がつまり人間なのである。

 本書が出た後、何年かして、赤松命令説は、一応否定されたという話題が沖縄で流れたことがあった。その時、私は沖縄の新聞記者に言ったことがある。
「そんなことをなさって、明日にでも、どこかの洞窟から、『自決せよ』という赤松の命令書が出て来るようなことはありませんか。そうなったらまたお困りでしょう。
 私たちは、赤松氏が命令を出したとも言えない。出さなかったとも言えない。むしろその曖昧さに生涯耐えることが、私たちの義務なんじゃないでしょうか」
 当時、この言葉を、私があちこちで行なった講演の中で聞いた人はかなり多いだろうと思う。覚えている人がいるかどうかは別として、今に至るまで、私は同じことを言い続けている。
 しかしあらゆるものの上に、時は流れて行く。そして二〇一四年になって、私はおもしろい発見をしたのだ。
 今まで本書はよく絶版になっては、また再版され、また別の出版社から出された、という経緯が重なった。その時、何度か、実に奇妙なほど同じ箇所に誤植が出た。大江健三郎氏の『沖縄ノート』が私のこの作品を書くきっかけになったのだが、その引用部分に、大江氏は、赤松隊長のことを「罪の巨塊」と表現している。実に「巨塊」という単語が私の心を引いたからこそ、この作品が生まれたようなものだが、その部分が、なぜか誤植を繰り返すのである。
 私は今、誤植の種類をすべて調べ上げる体力もないが、間違いとして「巨魁」もあれば「巨魂」となっているものまである。私自身が厳しくチェックしなかったのはいけなかったと言われれば、その通りだが、私自身ははじめから大江氏の言葉を「巨塊」として理解している。
 その誤植の理由が今年初めてわかった時、私はほんとうに笑い出しそうになったのである。
 私は約三十年ほど前から、自分でパソコンを使って原稿を書くようになったのだが(当時はワープロと言っていた)、先日「きょかい」と打ち込んで変換してみると「巨魁・渠魁」しか出て来ないのを発見したのである。びっくりして『大辞林』(三省堂)、『日本国語大辞典』(小学館)、『広辞苑』(岩波書店)、『日本語大辞典』(講談社)を引いてみたが、そのいずれにも、「巨魁・渠魁」はあっても「巨塊」はない。だからパソコンの漢字変換に出て来ないのである。
「巨塊」が大江氏の造語であることははっきりしているが、作家が造語をして悪いことは少しもない。しかしパソコンを打ち込む段階では、機械は、今でも「きょかい」を「巨魁・渠魁」としか変えないのである。
 今、私のパソコンには、大江氏用の特別な用例として「巨塊」という単語も変換できるように登録されているが、「巨塊」の代わりに「巨魁」を使っても常識的には意味が通じてしまうところに、この誤植は起こり続けたのであろう。
 また、「巨魂」は、「巨魁」が持つにふさわしい魂として、印字をする人も編集者も特に不思議に見えなかったのか。それともかつて乱視と強度の近視ですべての物が見えにくかった弱視時代の私のように、「塊」と「魂」の字の違いがよくわからなかった人がこの本作りに携わってくれたのかもしれない。読者に旧版の誤植のお詫びを申し上げる気持ちは変わらないが、私は視力に問題のある人のことを、あまり厳しく言えない状態で五十年間も暮らして来た人間なのである。
 最近不定期にだが、私のノンフィクションやエッセイが、ワック株式会社から隠れたシリーズのように出版され始めているが、発刊の順序、時期、部数など、私は希望を述べたことがない。書いたのは筆者だが、出版という分野に、なぜか筆者はあまり立ち入らないほうがいいように思う姿勢も、昔からそのままである。

  平成二十六年七月

曽野綾子 

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