沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実

曽野綾子(作家) 著
定 価:
本体933円+税
判 型:
新書版
ページ数:
340ページ
ISBN:
9784898315453
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大江健三郎氏の
『沖縄ノート』のウソ!

この事件(渡嘉敷島の集団自決)は、調査を進めるにしたがって、その多くの部分が推測の範囲で断罪され、しかも推測の部分ほど断罪の度合いも激しくなっている、という一種の因果関係が見られるようにも思う。神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできないのである──日本軍の住民自決命令はなかった! 先の大戦末期、沖縄戦で、「渡嘉敷島の住民が日本軍の命令で集団自決した」とされる神話は真実なのか!? 徹底した現地踏査をもとに「惨劇の核心」を明らかにする。

著者プロフィール

曽野綾子(その・あやこ)
作家。1931年、東京生まれ。聖心女子大学文学部英文科卒業。ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章したのをはじめ、日本芸術院賞恩賜賞ほか多数受賞。著書に、『無名碑』(講談社)『誰のために愛するか』(祥伝社)『神の汚れた手』(文藝春秋)『貧困の僻地』(新潮社)『非常識家族』(徳間書店)『生きて、生きて、生きて』(海竜社)『夫婦、この不思議な関係』『悪と不純の楽しさ』『私の中の聖書』『都会の幸福』『弱者が強者を駆逐する時代』(以上、ワック出版)など多数。

目次

新版まえがきより
どの作家にとっても、多分一つ一つの作品には「それが生れた必然か動機」のようなものが明瞭に記憶されているだろう。非常に初期のものは別として、私にも個々の作品にそれがはっきりしている。しょっているように聞こえると困るのだが、私は作品の中心に思想的な骨がないと出発できない。しかし骨が露になってしまうと、主題が明確になるより、小説としての豊満さが失われるので、骨など見えないほどの贅肉をつけることにいつも腐心している。
この『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』の出発点は非常に素朴な二つの情熱が作用していた。
一つは、現存する人間に対する興味である。この作品の主要な登場人物である赤松嘉次氏と彼が共に戦った人々は、戦後二十五年目の日本のマスコミに、無辜の島民を集団自決による死に追いやり、自分たちは生き延びた卑怯者、悪人として登場した。ことに赤松氏に関しては、渡嘉敷島の集団自決の歴史の中では、悪の権化のように描かれていた。そして本文中にも書いたように、私はそれまでの人生で、絵に描いたような悪人に出会ったことがなかったので、もし本当にそういう人物が現世にいるなら是非会ってみたい、と考えたのが作品の出発点である。火を噴く竜がいるという噂の洞窟は恐ろしいが、近づいて見てみたいと思う気持ちと似ている。
もう一つの情熱は、人間が他者を告発するという行為の必然性である。
私は決して深い信仰を持っているわけではないのだが、聖書の中に出てくる言葉と、現実の日本の生活との間に、深い刺激的な亀裂があることにしばしば心を揺り動かされた。例えば『ルカによる福音書』(6・37)以下には、次のような明快な記述がある。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めつけるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決めつけられない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」
これは単純に殺人者を放置せよ、とか、詐欺師を避けるな、ということではない。また自分が欲しいから人に与えておく、という計算づくでの処世術を説いているのでもない。ここで述べられているのは、もっと現実的で、もっと人間的な制約を確認することである。ウィリアム・バークレイによると、第一に我々は事実の全貌、或いは人格の全体を知ることはできないからである。第二に、人間は他人を全く公平に裁くことはできないのである。そして第三に、イエスが繰り返して言ったことだが、人間には他人を裁くことができるほど善い人はいないからなのである。ゆえに現世の裁判と、神の裁きとは全く精度が違うものなのである。そしてこのことは、パウロの『ローマの信徒への手紙』(3・10)に決定的な簡潔さで述べられている。
「正しい者はいない。一人もいない。」
戦後の日本では、告発することが市民の義務のように思われ出したが、告発ということは、自分が正しいことをしているという自信がある場合にのみ可能なことだろう。
キリスト教徒は、他人を決定的に断罪することができないのである。むしろ厳密な答えは神に任せて来世まで持ち越すことを命じられている。ことに、この沖縄の人たちが体験した集団自決というような異常な空間と時間において、一人の人間の取った行動がどのていど道徳的だったか、正義に基づいていたか、或いは彼らが自分の置かれた状況をどれくらいはっきり把握していたか、などということは、なかなか明確にはできないことだろう、と私は思っていたのである。
そもそも、正義(ディカイオシュネー)というギリシア語の聖書的概念は、神と人との折り目正しい関係を示す、と考えられている。つまり神と人との関係は、その瞬間瞬間、両者の間だけで測定されるもので、もし関係が折り目正しくなくなったら、その都度修正することだけが義務づけられている。従って正義という概念の中には、現在我々の社会が考えるような、少数民族が平等に扱われること、だの、裁判で冤罪がなくなること、などは考えられていない。人間は、一人一人が神と結ばれ、神と人間との関係は垂直に働く。しかし、私たちの社会が考える正義は、神不在でも成り立ち得る水平的な関係なのである。
従って︱︱そこからが複雑なところなのだが︱︱信仰を持つ者にとっては、人から称賛されても神との関係においては間違っているというものもあり、反対に世間からは徹底して糾弾されようとも神との関係においては正しく安らかなものもある、ということになる。
新版まえがきより
どの作家にとっても、多分一つ一つの作品には「それが生れた必然か動機」のようなものが明瞭に記憶されているだろう。非常に初期のものは別として、私にも個々の作品にそれがはっきりしている。しょっているように聞こえると困るのだが、私は作品の中心に思想的な骨がないと出発できない。しかし骨が露になってしまうと、主題が明確になるより、小説としての豊満さが失われるので、骨など見えないほどの贅肉をつけることにいつも腐心している。
この『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』の出発点は非常に素朴な二つの情熱が作用していた。
一つは、現存する人間に対する興味である。この作品の主要な登場人物である赤松嘉次氏と彼が共に戦った人々は、戦後二十五年目の日本のマスコミに、無辜の島民を集団自決による死に追いやり、自分たちは生き延びた卑怯者、悪人として登場した。ことに赤松氏に関しては、渡嘉敷島の集団自決の歴史の中では、悪の権化のように描かれていた。そして本文中にも書いたように、私はそれまでの人生で、絵に描いたような悪人に出会ったことがなかったので、もし本当にそういう人物が現世にいるなら是非会ってみたい、と考えたのが作品の出発点である。火を噴く竜がいるという噂の洞窟は恐ろしいが、近づいて見てみたいと思う気持ちと似ている。
もう一つの情熱は、人間が他者を告発するという行為の必然性である。
私は決して深い信仰を持っているわけではないのだが、聖書の中に出てくる言葉と、現実の日本の生活との間に、深い刺激的な亀裂があることにしばしば心を揺り動かされた。例えば『ルカによる福音書』(6・37)以下には、次のような明快な記述がある。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めつけるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決めつけられない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」
これは単純に殺人者を放置せよ、とか、詐欺師を避けるな、ということではない。また自分が欲しいから人に与えておく、という計算づくでの処世術を説いているのでもない。ここで述べられているのは、もっと現実的で、もっと人間的な制約を確認することである。ウィリアム・バークレイによると、第一に我々は事実の全貌、或いは人格の全体を知ることはできないからである。第二に、人間は他人を全く公平に裁くことはできないのである。そして第三に、イエスが繰り返して言ったことだが、人間には他人を裁くことができるほど善い人はいないからなのである。ゆえに現世の裁判と、神の裁きとは全く精度が違うものなのである。そしてこのことは、パウロの『ローマの信徒への手紙』(3・10)に決定的な簡潔さで述べられている。
「正しい者はいない。一人もいない。」
戦後の日本では、告発することが市民の義務のように思われ出したが、告発ということは、自分が正しいことをしているという自信がある場合にのみ可能なことだろう。
キリスト教徒は、他人を決定的に断罪することができないのである。むしろ厳密な答えは神に任せて来世まで持ち越すことを命じられている。ことに、この沖縄の人たちが体験した集団自決というような異常な空間と時間において、一人の人間の取った行動がどのていど道徳的だったか、正義に基づいていたか、或いは彼らが自分の置かれた状況をどれくらいはっきり把握していたか、などということは、なかなか明確にはできないことだろう、と私は思っていたのである。
そもそも、正義(ディカイオシュネー)というギリシア語の聖書的概念は、神と人との折り目正しい関係を示す、と考えられている。つまり神と人との関係は、その瞬間瞬間、両者の間だけで測定されるもので、もし関係が折り目正しくなくなったら、その都度修正することだけが義務づけられている。従って正義という概念の中には、現在我々の社会が考えるような、少数民族が平等に扱われること、だの、裁判で冤罪がなくなること、などは考えられていない。人間は、一人一人が神と結ばれ、神と人間との関係は垂直に働く。しかし、私たちの社会が考える正義は、神不在でも成り立ち得る水平的な関係なのである。
従って──そこからが複雑なところなのだが──信仰を持つ者にとっては、人から称賛されても神との関係においては間違っているというものもあり、反対に世間からは徹底して糾弾されようとも神との関係においては正しく安らかなものもある、ということになる。
こうした二重性を私は非常に豊かなものだと心のどこかで感じていたから、単に当時の守備隊長が極悪人だったら会ってみたい、という子供じみた衝動以外に、私はこの事件を深く知りたいと思ったのであろう。
聖書は元々「まず自分を省みずに、他者を裁くこと」を繰り返し厳しく戒めているが、人間は誰もが、弱く不完全なものだという認識を、信仰は人間にたたき込む。ただ他者から裁かれるような人間でも、神は決して見捨てないことも明記されている。それどころか神がほんとうにその眼差しの中に捉えている対象は、善人や義人ではない、とさえ言われるのだ。『マルコによる福音書』(2・17)の中でイエスは言う。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
この事件は、調査を進めるに従って、その多くの部分が推測の範囲で断罪され、しかも推測の部分ほど断罪の度合いも激しくなっている、という一種の因果関係が見られるようにも思う。繰り返すようだが、神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできないのである。ましてや比類ない混乱と危険の中であった。一般に「そのことをした」という証明は物的にできる場合があるが、「そのことをしていない」という証明はなかなかできにくいと言われる。従って私ができたことにも大きな限界があった。私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。
沖縄の集団自決が悲劇だったことは言うまでもないが、決して歴史始まって以来、最初の特異で残酷な事件ではなかった。明確な、しかも遺物を伴う歴史として残っているのは、紀元六十六年に起こったユダヤ人の対ローマ反乱の最後の拠点となったマサダの集団自決が最初である。
対ローマ反乱組織は、紀元七十年になってたった一つの拠点を残すのみになった。彼らは、ヘロデ大王の作った死海西岸のマサダの要塞に立てこもっていた。
Y・ヤディンの『マサダ』は、ヨセフスがそこに残った九百六十人のユダヤ人の運命を書いている。逃亡の望みも全くなく、あるのは降伏か死かのいずれのみということになった時、人々は「栄光の死は屈辱の生に勝るものであり、自由を失ってなお生きながらえるという考えを軽蔑することこそ、最も偉大な決意である」と考えたのである。
彼らは辱めを受ける前に妻たちを死なせること、奴隷の体験をさせる前に子供たちを死なせることを選んだ。彼らはマサダの「要塞と金銭に火を放つが、糧食は残して行くことにした。それはローマ人たちに、彼らが必需品の欠乏のために負けたのではなく、我々の最初からの決意により、奴隷になるよりは死を選んだことを証明してくれるものだから」であった。
それから彼らは、まず籤で十人の男たちを選び出した。この十人が、夫と妻が悲しみのうちに子供を擁して抱き合うあらゆる家族全員の命を絶っていった。その後この十人が再び籤をひき、当たった一人が残りの九人を殺害し、その後で自ら剣で自決した。こうしたことがすべて明るみに出たのは、二人の婦人たちと、五人の子供たちだけが、地下の洞窟に隠れて、この悲劇を生き延びたからであった。
日本人とユダヤ人の大きな違いは、マサダの自決をどう評価するか、において見ることができる。イスラエルでは、マサダの集団自決を、非人間性や好戦性の犠牲者として見るどころか、そこで自決した九百六十人の人々を、ユダヤ人の魂の強さと高貴さを現した人々として高く評価したのであった。
マサダは現在、イスラエルの国家の精神の発生の地として、一つの聖地になっている。新兵の誓約もここで行われ、国賓もここに案内される。
しかし沖縄では、集団自決の悲劇は軍や国家の誤った教育によって強制されたもので、死者たちがその死によって名誉を贖ったとは全く考えてもらえなかった。そう考えるほうが死者たちが喜んだのかどうか、私には結論づける根拠はない。
この本を書いた当時、沖縄の島で行われた集団自決は、時と共に風化するだろう、と私は考えていたが、意外なことに少しもそうはならなかった。この事件は、多くの人たちに、多年にわたって多くの普遍的な日本人の精神構造の問題点をいくつも突きつけてきたからであろう。
二〇〇六年四月
曽野綾子
こうした二重性を私は非常に豊かなものだと心のどこかで感じていたから、単に当時の守備隊長が極悪人だったら会ってみたい、という子供じみた衝動以外に、私はこの事件を深く知りたいと思ったのであろう。
聖書は元々「まず自分を省みずに、他者を裁くこと」を繰り返し厳しく戒めているが、人間は誰もが、弱く不完全なものだという認識を、信仰は人間にたたき込む。ただ他者から裁かれるような人間でも、神は決して見捨てないことも明記されている。それどころか神がほんとうにその眼差しの中に捉えている対象は、善人や義人ではない、とさえ言われるのだ。『マルコによる福音書』(2・17)の中でイエスは言う。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
この事件は、調査を進めるに従って、その多くの部分が推測の範囲で断罪され、しかも推測の部分ほど断罪の度合いも激しくなっている、という一種の因果関係が見られるようにも思う。繰り返すようだが、神と違って人間は、誰も完全な真相を知ることはできないのである。ましてや比類ない混乱と危険の中であった。一般に「そのことをした」という証明は物的にできる場合があるが、「そのことをしていない」という証明はなかなかできにくいと言われる。従って私ができたことにも大きな限界があった。私は、「直接の体験から『赤松氏が、自決命令を出した』と証言し、証明できた当事者に一人も出会わなかった」と言うより他はない。
沖縄の集団自決が悲劇だったことは言うまでもないが、決して歴史始まって以来、最初の特異で残酷な事件ではなかった。明確な、しかも遺物を伴う歴史として残っているのは、紀元六十六年に起こったユダヤ人の対ローマ反乱の最後の拠点となったマサダの集団自決が最初である。
対ローマ反乱組織は、紀元七十年になってたった一つの拠点を残すのみになった。彼らは、ヘロデ大王の作った死海西岸のマサダの要塞に立てこもっていた。
Y・ヤディンの『マサダ』は、ヨセフスがそこに残った九百六十人のユダヤ人の運命を書いている。逃亡の望みも全くなく、あるのは降伏か死かのいずれのみということになった時、人々は「栄光の死は屈辱の生に勝るものであり、自由を失ってなお生きながらえるという考えを軽蔑することこそ、最も偉大な決意である」と考えたのである。
彼らは辱めを受ける前に妻たちを死なせること、奴隷の体験をさせる前に子供たちを死なせることを選んだ。彼らはマサダの「要塞と金銭に火を放つが、糧食は残して行くことにした。それはローマ人たちに、彼らが必需品の欠乏のために負けたのではなく、我々の最初からの決意により、奴隷になるよりは死を選んだことを証明してくれるものだから」であった。
それから彼らは、まず籤で十人の男たちを選び出した。この十人が、夫と妻が悲しみのうちに子供を擁して抱き合うあらゆる家族全員の命を絶っていった。その後この十人が再び籤をひき、当たった一人が残りの九人を殺害し、その後で自ら剣で自決した。こうしたことがすべて明るみに出たのは、二人の婦人たちと、五人の子供たちだけが、地下の洞窟に隠れて、この悲劇を生き延びたからであった。
日本人とユダヤ人の大きな違いは、マサダの自決をどう評価するか、において見ることができる。イスラエルでは、マサダの集団自決を、非人間性や好戦性の犠牲者として見るどころか、そこで自決した九百六十人の人々を、ユダヤ人の魂の強さと高貴さを現した人々として高く評価したのであった。
マサダは現在、イスラエルの国家の精神の発生の地として、一つの聖地になっている。新兵の誓約もここで行われ、国賓もここに案内される。
しかし沖縄では、集団自決の悲劇は軍や国家の誤った教育によって強制されたもので、死者たちがその死によって名誉を贖ったとは全く考えてもらえなかった。そう考えるほうが死者たちが喜んだのかどうか、私には結論づける根拠はない。
この本を書いた当時、沖縄の島で行われた集団自決は、時と共に風化するだろう、と私は考えていたが、意外なことに少しもそうはならなかった。この事件は、多くの人たちに、多年にわたって多くの普遍的な日本人の精神構造の問題点をいくつも突きつけてきたからであろう。
二〇〇六年四月
曽野綾子
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