大東亜戦争に対する日本の基本戦略は、東南アジアの資源地帯から米英蘭勢力を駆逐した後は、対米、すなわち太平洋は防御、攻勢の主方向は、インド洋と中国だった。この基本戦略通りに戦ったならば、日本が負けることにはなり得なかった──
米国人歴史学者が検証した“太平洋戦争の真実”には、日本人が大東亜戦争を見直す際の教訓に溢れている。
著者プロフィール
James B. Wood(ジェームズ・B・ウッド)
米国ウィリアムズ大学教授。近代初期のフランスが専門の優れた歴史家であり、若い頃から軍事史に興味を持つ。最新の著作『国王の軍隊:1562─1576年 フランス宗教戦争の間の、戦闘、兵士、そして社会』は、1998年、軍事歴史協会優秀書籍賞を受賞。『太平洋における日本の軍事戦略:敗北は必然だったのか』は、現代軍事史に関する本として最初の試み。1973年以来、ウィリアムズ大学で、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ヨーロッパ史における戦争、近代戦争と軍の統率力、アメリカの小さな戦争の諸講座の教鞭をとる。戦争に対する長年の関心にもかかわらず、一度も兵役に服していない。マサチューセッツ州ウィリアムズタウンの自宅で、妻のマーガレット、三人の子供の末っ子、イエローラブラドール犬と一緒に、静かな生活を送る。
茂木弘道(もてき・ひろみち)
1941年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。富士電機、国際羊毛事務局を経て、1990年、㈱世界出版を設立。日本の漫画を英語に対訳した日本語学習/日本情報誌「漫画人」をアメリカMangajin, Inc. と協力して発刊。「史実を世界に発信する会」事務局長。著書に『文科省が英語を壊す』(中公新書ラクレ)『小学校に英語は必要ない。』(講談社)『ゆとり教育の落とし穴』(国民会館叢書)。訳書に『放射能を怖がるな!』(日新報道)などがある。
目次
訳者まえがき 序 論 運命は決まっていたわけではない- なぜ日本が敗れたかについての諸説
- 日本に勝利の可能性はあったのか
- 太平洋戦争は、最初からその運命が決まっていたのではない
- それはまさしく計画された賭けであった
- 日本の国家的存続が脅かされているのは紛れもない事実
- この時をおいて開戦の絶好のチャンスはなかった
- 従来の伝統的作戦からの逸脱
- 大きな戦略的失敗であった「外郭要地攻略」作戦
- 司令長官・山本五十六は過剰拡大路線を推し進めた
- 戦争の焦点は突如として中国から太平洋に
- ガダルカナルへ米軍上陸
- 本来の戦略を実行していたなら
- 潜水艦と爆撃機の開発は新たな戦略的問題を提起した
- ガダルカナルは撤収したが
- 「絶対国防圏」構想の破綻
- アメリカは日本の敗北について、明確な予定表はなかった
- 個別的出来事の「もし、~だったら」では意味がない
- 初期の勝利に酔い、絶好の機会を逃した
- 一九四二年半ば、日本に戦勝をもたらし得る戦略
- 太平洋防衛拠点は日本本土から外に向かって構築すべき
- 日本軍の勝利の可能性を高めるチャンスがあった
- 一九四二年末までの船舶損耗の少なさが誤解を生んだ
- 遅すぎた船舶護送対策
- 護送船団方式は勝利をもたらす戦術だった
- 大規模護送船団の想定効果
- 護送船団方式が敵の潜水艦を引きつける
- 日本の敗北をあと一年は先送りすることができた
- 失敗に終わった日本の潜水艦攻撃
- 技術的問題よりも戦略思想が問題だ
- 日本の潜水艦部隊にとっての好機
- アメリカのシーレーン破壊に十分な潜水艦はあった
- 対潜防衛作戦における潜水艦の重要性
- 歴史上最強の帝国艦隊
- 国家の偉大さは偉大な海軍にある
- 一流艦隊の建設を主導した日本とアメリカ
- アメリカの「リスク艦隊」戦術の成功
- どうすれば異なった結果が生まれたか
- 日本海軍に可能であった道
- アメリカ軍の能力の限界と弱点
- 日本海軍は、戦略的な奇襲をかけ得る能力を持ち続けていた
- 太平洋におけるアメリカ軍の戦略的選択肢は限られていた
- 沖縄特攻出撃とアメリカ軍の甚大な損害
- 有利な航空戦力を過剰拡大と消耗戦で失った日本軍
- 日本の航空戦力につきまとう構造的弱点とは
- 構造的制約に悩まされなかったアメリカの航空戦力
- 日本海軍航空戦力の墓場と化した南太平洋の戦い
- 急増する戦闘以外での航空機の損失
- 神風特攻は戦争に勝つための武器ではなかった
- 日本本来の戦略的意図を、より厳格に固持すべきだった
- 一九三九年にノモンハンで戦った陸軍と同じものだった
- 太平洋に不適切な規模とタイミングで投入された日本陸軍
- 太平洋に日本陸軍を初期から大量に投入すべきだった
- 米陸軍にとっても長く困難だったサイパン島攻防戦
- 太平洋における日本陸軍の数の不足は致命的
- 防衛体制がつくられていない日本軍支配下の重要地域
- 一九四三年半ば以前に、もう二十個師団を投入していたら
- 太平洋戦争は単なる生産力の戦争ではない
- 根拠のある可能性
- 日本がよりよい戦争を戦う機会が、歴史の中に実在していた