著者プロフィール
長谷川煕(はせがわ・ひろし)
ジャーナリスト。1933年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学専攻卒。1961年に朝日新聞社入社。88年初めまで経済部など新聞の部門で取材、執筆し、次いで、創刊の週刊誌『AERA』に異動。93年に定年退社したが、その後もフリーの社外筆者などとして『AERA』で取材、執筆を2014年8月まで続ける。
1990年前後に、歴史的な転換をしつつあった東西ドイツなど中東欧諸国、旧ソ連内の各地、また北朝鮮に接する中国の延辺朝鮮族自治州などを取材した。
著書に『コメ国家黒書』『松岡利勝と「美しい日本」』『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(以上、朝日新聞社)、『新幹線に乗れない』(築地書館)などがある。
※「ひろし」の本来の表記は「臣」+「己」+「灬」ですが、文字が使用できないので代替で「煕」を使用させて戴いております。
目次
まえがき
第一部 過去を「悪」と見る条件反射
第一章 吉田清治を称えた論説委員
- 伊藤律架空会見をしのぐ虚報
- 「吉田調書問題」と慰安婦虚報の検証を依頼
- 中江利忠と佐伯晋の対処
- パブロフ報道の典型
- 吉田清治証言の経緯
- 官僚主義の弊害ではなく、思考の偏頗だ
- これが論説委員の評論か
- 慰安婦報道に直接関わった人々を訪ねて
- ソ連軍によって「性奴隷」にされた日本人女性の苦難
第二章 マレー半島「虐殺報道」の虚実
- 松井やよりの言動、記事、著作を吟味する理由
- 「民衆虐殺」をめぐる論争
- 反日感情が強かった華人層
- 「赤ん坊ほうりなげ刺殺」の真相
- 「民衆虐殺」は誰が行なったのか
- なぜ、ずさんな取材、執筆をするようになったのか
- 冷静な中国観察は傑出していたが
第三章 松井やよりの錯誤
- 松井やよりの記事の不審点
- 植村隆の特ダネ報道
- 「女性国際戦犯法廷」という不可解
第二部 視野が狭くなる伝統
第一章 朝日にたなびくマルクス主義
- 戦後の社風を形成した人物たち
- 長く社内を牛耳った広岡知男
- 共産主義社会を理想視した森恭三
- あのスターリンの死を悲しんだ秦正流
- 中国派の広岡とソ連派の秦
- 事実を究明し、事実に徹するという報道の根本はどこに?
- ミンスクの松林で体感したマルクス主義社会の狂気と非道
- 「レッドパージ」がもたらした社内反米の波紋
第二章 尾崎秀実の支那撃滅論の目的
- ゾルゲ事件と尾崎秀実
- 尾崎が「全面自供」で秘匿したこと
- 「日本南進」の出所は
- 消えた軍部内への追及
- スメドレーとは半ば同棲
- 国民政府軍を撃滅するまで戦争を続けよと、檄を飛ばす
- 「トラウトマン調停」に沈黙する朝日社説
第三部 方向感覚喪失の百年
第一章 歴史を読み誤り続けて
- 大阪本社社会部的歪み
- ソ連に従った朝日新聞社と外務省
- ソ連派と中国派の対決
- 「国外追放になるような記事は書くな」
- 特派員はなぜ見誤るのか
- 元老山縣有朋の良識
第二章 一閃の光、そして闇
- 皇道派を嫌い、統制派を支持する
- 掘り起こされるべき日本史の急所
- 美土路昌一の眼力
- 繆斌工作で日支戦争終結を図る
- 緒方竹虎と笠信太郎の自制
- 「NHKの番組改変」非難報道の顚末
- 「大義」を事実によって検証せよ
あとがき
参考文献一覧