いまやコミックは紙の本よりも電子書籍のほうが、多く読まれているというデータもあります。
猫も杓子も電子書籍と言っておりますが、時代の趨勢と言えばそれまでですが、これだけは絶対に電子書籍にしてはダメというものが教科書だと思います。
ネットの検索一発で答えが分かり、コピペで文章を書く?人たち。最短で答えに辿りつける便利さを感じはしますが、物事を俯瞰することや、時系列で捉える力は衰えているのではないかと、アナログな身としては感じます。
手軽に持ち運べるスマホでナビのような、便利なアイテムのない時代に、時刻表片手に出張していた世代としては、A地点からB地点への最短ルートしか分からないナビよりも、行先が途中までの電車に乗り間違えてしまい、結局は目的地に到着できずに引き返したことが懐かしく、また味わい深く思えます。
さらにキーボードに苦労した身としては、タブレット端末の普及でキーボード自体が過去のモノになろうとしているいま、隔世の感があります。
これからの社会、教科書が電子となった時代には、教育というものが大変革を起こしていない限り、日本の教育水準が低くなることは必定だと考えます。
タブレットを使った電子教科書で学んだ子どもたちが、本を読むこともなく、ネットの不確かな情報だけで物事を判断する、それが本当に豊かな社会といえるのか、恐ろしくもあり疑問にも思います。
前編で紹介した「本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ」からすれば、日本のあちらこちらで、物事を深く考えられない人が大量発生する恐れすらあります。
知的労働も単純作業も、多かれ少なかれ人工知能(AI)が人間に代わって就労する時代が、遠い未来を描いたSF小説ではなく、すぐ目の前の現実となって迫っています。
中島秀之東京大学特任教授とドミニク・チェン早稲田大学准教授の対談本『人工知能革命の真実 シンギュラリティの世界』に、AIでこれからの社会をどうしたいのか、それを考えられる人間が必要とあります。
仕事を機械に取って代わられないよう、AIに使われるのではなく、AIを使って豊かな生活を実現する。
そのためにも、これからも紙の本を読んで考える力を養い、間違った行動や判断をしないよう心掛けたいと思います。