『新潮45』10月号で、特集記事「そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」を掲載しました。
その件に関して、出版社や書店、作家、言論人だけでなく読者までをも巻き込んでの議論が
活発化しています。
この言論状況に対して、ブックジャーナリストの真藤弘介氏より緊急寄稿をいただきました。
その全文をブログで掲載いたします。
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新潮社が発行する『新潮45』の記事をめぐって、新潮社の社内他部署、
同業の良心を気取る出版社、そして良心を気取る作家たちが参戦して炎上となり、
朝日新聞9月20日朝刊の社会面で記事にもなる騒ぎとなった。
また和歌山の書店では新潮社の本の販売をしばらくのあいだ止めると宣言し、
これもまた朝日新聞デジタル版で掲載され話題となった。
事の発端は、『新潮45』8月号に掲載された、杉田水脈議員の寄稿の文中で、
――例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、
少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために
税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり
「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、
政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。(58頁3段目14行目~59頁1段目8行目までママ引用)
とあり、この「生産性」に尾辻かな子議員(立憲民主党)が
ツイッターで噛みついたことから、いわゆる炎上が始まった。
朝日新聞社のAERAオンラインで、「幸せに縁がない人相」という、
容貌をこきおろしての人格攻撃という記事や、
NHKの「ニュースウオッチ9」での2人のキャスターによるバッシングコメントといった、
なんとも眉を顰(ひそ)めたくなる報道内容だった。
杉田議員は国会議員として公人である身として、
自らの発言への批判・非難は受け止めねばならないが、
煽りを入れるメディアがあまりにも低俗すぎて、単なる私刑にしか見えなかった。
『新潮45』が10月号で「そんなにおかしいか「杉田水脈」論文」と
特別企画を表紙で銘打ったことから、
「LGBT」問題が、またしても大炎上となった。
しかし、今回は杉田水脈議員へのバッシングでなく、
なんと発行元の新潮社への感情的な攻撃の様相を呈したのである。
2017年、ケント・ギルバート氏が講談社から刊行した
『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』に対して、
いわゆる一部の左派が、「日本を代表する出版社の講談社がなんて本を出したのだ!」
と言論というには、はるかに遠い感情的批判に終始し、講談社の中からも出版を
疑問視する声が上がったりもした。
彼らは中国や韓国を批判する本は「ヘイト本」というレッテルで一方的に非難し、
これが出版不況にあってなぜか売れているからと、大手中堅関係なく
どこの出版社も追随していると言うのだ。
話を元に戻そう。
今回、まず書店現場から表紙の文言に対して拒絶反応が現れた。
そして「不買(売)」という単語まで出てくる始末。
また、新潮社の別の部署である新潮社出版文芸部アカウントが、
『新潮45』を批判・非難するツイートをリツイートし、
はた目には内紛のように感じた人も多かったようである。
挙句には岩波書店のアカウントが「ナカノヒト会」なるハッシュタグで賛同者を募り、
「良心に背く出版は、殺されてもせぬこと」の言葉を錦の御旗のごとき連発して、
これが出版界の「良心」だと振る舞いに出る始末。
「良心」という美辞麗句に惑わされる人も多いが、今一度振り返って欲しい。
「良心」を軽々に口にすることは胡散臭いものだ。
この「ナカノヒト会」に賛同した出版社に対して、読者たちからの的確な指摘に、
「ヘイト本」を出している出版社(幻冬舎・KADOKAWA)が、
なぜ加担するのかいう面白い見解もあったが、
言論からはどんどん離れて、単なる感情のぶつけ合い状態となっている。
「不買(売)」だの「謝罪」だのと騒いでいる一連の人たちのなかに、
どれだけの人が雑誌を読んでの批判だったのか、甚だ疑問に感じた。
なかでも作家と呼ばれる人たち。彼らの中には「読む必要もない」と言い切り、
言論云々を超越した嫌がらせとしか思えない批判も多数あった。
SNSや個人のブログなど流し読みしたなかで、
理にかなった論評の一つに「BLOGOS」の山口浩氏の「例の特集を読んでみた」がある。
9月21日には新潮社の佐藤社長が公式な見解を発表するも、
内容についてさらなる炎上狙いか?
とか、「謝罪」がないだの他人事だのと酷評が続いている。
新潮社に「謝罪」を求める人たちは、何を持って新潮社を屈伏させたいのだろう。
まさに言論弾圧としか言いようのない事態が起こっている。
この騒動で憤りを感じたり、義憤に駆られたりした人たちに問いたい。
「あなたたちは内容如何に関わらず、
自らの見識だけで騒ぎ立てれば、世の中が変わると思っているのか?」と。
この騒動で「LGBT」に見識も興味もない多数の人たちが、
「LGBT」って何?というところから始める、
まずは取っ掛かりになったと思うし、賛否あれど『新潮45』がはたした役割は、
確実にあったと言わざるを得ない。
『新潮45』に掲載された記事の中には、
確信犯的な煽りを目的としたとしか思えない下劣なものもあったが、
それ以上に「LGBT」について考えるべき問題点を
可視化してくれるもののほうが多かったと言える。
であればこそ、内容も読まずに批判するのではなく、
何のどこがダメで、ではどうすれば、というご意見を拝聴したい。
表現の自由、言論の自由が保障された日本に住んでいるからこその
活発な議論が展開されることを期待する。
真藤弘介(ブックジャーナリスト)
